最近読んだ[『予想どおりに不合理』](http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4152089792/binword0f-22/)では、現金と代用貨幣では人間の罪悪感が異なるかどうかを実験している。
お金とはなんと奇妙なものではないか。現金がからむとわたしたちは倫理規定に署名でもしたかのように、自分の行動について考えようという心持ちになる。
(中略)
これに対して、現金を使わない取引はなんと自由なのだろう。かならず都合のいい正当化が見つかる。職場の赤鉛筆を持ち帰ることも、冷蔵庫の缶コーラをもらっていくことも、ストックオプションの日づけを改ざんすることだってでき、どれももっともな言いわけがたつ。現金を使わない取引では、自分を不正直な人間だと思うことなく、不正直になれる。良心がぐっすりと眠っているとおぼしきうちに、盗みを働くことができるのだ。
今回の障害者郵便不正利用の場合、(業者の視点から見ると)差額の72円を盗んだのではなく、8円払ったのだ。これでは、不正を行っているという認識を持てないのも、(人間の本性からすれば)当然と言える。 だからといって、不正利用を見逃せというつもりはまったくない。そうではなく、もっと人間が不正を行いにくい仕組みを導入すべきだと思うのだ。例えば、事務的手続きが煩雑になったとしても、80円をまず払わせ、後から差額を還付するという形式にしたら、不正は少なくなるのではないだろうか。
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